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20161203_ファンドのオフサイト@軽井沢_給与論

ファンドの合宿だ!とのことで、軽井沢にある大きな別荘に向かった。どうしても行きたくなかったのだが、社長が、「頼むから来てくれ来てくれ」というので、致し方なく。

行きたくなかった理由は、

- 会議はSlackでチャットにより行えばいい
- チームビルディングは株主価値とは無関係でゆえに必要ない
- 移動中にウイルスに感染するリスクがある
- 軽井沢は寒く、身体へのダメージがある
- 金と時間が無駄にかかる

端的に言えば、行く理由が一つもなかったから。ここまで自明な結論にズレが出るということは、もはや宗教の違いのようなものなので、拒否権発動するほどに会社の意思決定を覆そうと努力する気はない。

恵比寿から湘南新宿ラインで大宮まで40分。大宮で新幹線に乗換えて、軽井沢まで40分。1.5時間ぐらいで着いた。昔クルマで行ったとき、3時間ぐらいかかった記憶があるので、なかなかにびっくりした。車内では、土屋賢二のエッセイを読んでいた。

別荘では、インド2・スリランカ1・日本3・国籍ない人1、計7人で議論をした。トピックは、労務_組織設計 に包含される内容で、自分の担当領域ではないので、特に何もコメントしなかった。給与の話になって、端的に言えば、”おれの給与は低い。上げろ!”とインド人2人が言って、紛糾した。

この種の問題が何故議論になるのかわからない。

給与は、支給対象者をマーケットから再調達する際の必要支払報酬額であるべきだ。ただし、支給対象者が会社にいないケースにおける株主価値の毀損程度が、当該報酬を上回る限りにおいて。下回る場合は、そもそも雇用するべきではない。

特殊事項として、株主か否か、という問題はある。役員を含む全ての会社のメンバーは、株主のために働いている。従って、株主が会社から報酬を受取るという行為は、給与と株価上昇の2重取りになっている。非株主メンバーと同じ論理で報酬を判断するのは誤っている。

給与を判断する論理は、これぐらいでいいだろう。世の中ゆがみだらけだが。

今年最も経済的にも自分の人生においても無意味な時間を過ごした所で、恵比寿へ帰った。21時半に駅について、成城石井でおでんセットとちくわぶを買って、家で煮て食べた。懐かしい味がして、おいしかった。ちくわぶは東京ローカルの食べ物だと知ってから10年程経つが、未だちくわぶをおでんの盟主に据えない人を下に見ている。これもまた宗教の問題なのかもしれない。(”おでんはご飯に合わない。おでんを晩御飯にすると炭水化物が不足する。従ってちくわぶがその役割を担う。”という論理でこちらは武装しているのだが果たして。)

無意味、とは言ったが、社長はおれが行って喜んでいたようだったので、それが意味なのだろう。そもそもそれだけが理由だった。

ゆっくり本を読んで寝よう。