#34_5月28日_毎日日記

日記調に戻そうと思う。そもそもブログをはじめた趣旨は、報告書や意見書、そしてメールを書く機会が減ったことで、文章を生成する脳内の機構が退化しつつあることに危機感を覚えたため、それをアップデートすることだった。生来、不毛なまでの完璧主義だ。仕事領域においては良い影響を及ぼすけれど、それ以外では邪魔になる。どうせ誰も読まないし、仕事でもないし、この成果物を生成することが目的ではないので、あまり拘る必要はないのだけれど、毎度「書くならば」と意気込んでしまい、結果手がつけられなくなっていたようだ。とりあえず、毎日書くことを第一において、取り組んでいこうと思う。

ファンドで一緒に働いている仲間が、投資先の経営管理をするために、ミャンマーに駐在している。彼が赴任する前、「毎日日記を書いたらいいよ、おれには無理だけど」「継続は力なりだよ、おれには無理だけど」、と無責任なことを言って送り出した。もう4ヶ月ぐらい経ったが、ほぼ毎日ちゃんと書いて更新している。素晴らしいことだと思う。実際に、内容が面白くなっているし、細部の表現描写も明らかに向上している。このまま貯めることで、経済的な価値のある資産になるだろう。

自分ができないことを、人にやらせる件について。”コンテンツは、そのコンテンツを生成した人とは関係なく評価されるべきだ”という意見がある。”言葉は、誰が言ったのかは関係ない”という意見を少し抽象的に言ったものだ。本件にあてはめると、”アドバイスの内容が客観的に正しければ、そのアドバイス通りに行動できる人もできない人も、アドバイスをする権利はあるし、アドバイス内容の価値は変わらない。”という主張だ。これらは、概ね正しいだろう。”おれ(あの人)が言っているのだから正しいはずだ!”という主張よりは、少なくとも。

ただし、そんなアドバイスを繰り出している最中の自分の心情を鑑みると、なかなかに心苦しく、結果として、自分ができる行動の範囲内での具体的アドバイスか、そうでなければ客観的に想像ができる範囲内での抽象的アドバイスに留まる。しかし、ごく稀に、この恥じらいを忘れて、上記日記の件のように、「おれはできないけど」と言いながら、アドバイスをしてしまう。

つまり、何が言いたいかというと、「自分ができないアドバイスなんてしちゃって、それをちゃんと実現している姿を見ていて、自分の口だけ性に嫌気がさしてきたこの頃」か。以前から主張している通り、生成することに価値を重んじるおれは、口だけでどうこう、右から左へ捌いてどうこうではなく、手を動かし何かを生成していこうと思った次第。

今日は終わり。

 

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