#32 衰えを感じるとき

会計士/税理士業界で最も優秀だ、と称される人が「私が専門家として最も優れていたのは、30歳の頃であった」と言っていた。その人がどれぐらい優秀かというと、M&A税務(=1番難しい)にはその人の本以外存在しない、ぐらい。おれが聞いたのは、監査法人でのクソみたいな実務期間を終えて、専門家として世に打って出た24歳の時で、なかなかに衝撃で、よく覚えている。確かに難解な会計税務はパズルそのものであって、どちらかと言えば数学に近く、従ってひらめきに依存する部分もある。かつ同時に、その発想の材料として膨大な知識を脳に蓄積しておく必要があって、当該蓄積には継続的な勉強が求められる。年齢が上がるにつれて難しくなるのは自明で、説得力はある。当時は、一生専門家として生きていこうかなと本気で考えていたので、それを改める要因の一つにもなったかもしれない。

なんだかんだ時間が経って、30歳を超えてしまった。未だ発想や知識量について衰えは感じない。ただ、ふとした瞬間、ないしは、難解な問題に直面した瞬間、”考えるのが面倒だ”と頭に思い浮かんだ時、圧倒的な衰えを感じる。考えることというのは、知識集約産業における根源であり、知的な人間として生きる根源であり、人間を他の動物と区別する根源であるところ、それを怠るというのは、専門家として・知的人間として・人間としての退化を意味する。退化とはまさに老いだ。そしておれは、老いたくない。

経年に従い生命体が老いるのは自然で、それに抗うことはできないが、考えるのが面倒だと感じる要因は、老い以外にも多くあると思う。それらを検証し、可能な限り排除することで、できる限り防ごうとするのもまた、自然なことだ。慣れ、惰性、定型化、思い込み、これら考えることを遠ざけるような状況に自分を置かないよう、これからも気をつけようと思う。取り除く対象の検証と、取り除く方法の仔細は、これからよく考える。